幼名は徳寿丸。従三位(明治42年に正三位追贈)権中納言・豊臣五大老。
備後三原を本貫として筑前・筑後・肥前三ヶ国の初代国主・小早川平朝臣隆景卿は、慶長2年(1597)6月12日に三原城中に病没し享年65歳。
三原市沼田東町の米山寺境内にある土肥・小早川惣領家歴代祖廟(国重文・県史跡)へ埋葬されている。世にこれを筑前中納言または三原中納言・三原黄門という。
隆景卿は天文2年(1522)毛利元就公の三男として安芸吉田で誕生。
同19年(1550)阪東八平氏の名流・土肥実平公以来の武門の名称である小早川惣領家16代繁平公(一珠院殿)の妹姫(慈光院殿・晩年を問田の大方)に配されて入婿し同家17代を相続。沼田高山城(国史跡・三原市高坂町真良)へ入府。
永禄10年(1567)三原湾に浮かぶ大島、小島を連ねて我が国築城史上最初の純然たる海域であった三原城(国史跡・別名を浮城または玉壺城、黒川小島の城という)を築いた。
卿は桓武平氏三頭左巴で豊臣一門に列し、五七桐(通称太閤紋)を使用した。
法号を黄梅院殿三品泰雲紹閑大居士という。
以上、竹之内将志著 小早川隆景卿一代略記より抜粋
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